昨年度退官された電気・電子工学系教授 英 貢 先生より、同窓会へ特別にご寄稿頂きました。
技科大におけるわが師
電気・電子工学系 教授英 貢
人間はいくら年をとっても学び続ける必要があるようだ。技科大に赴任してからも多くのことを学ぶ必要があった。学ぶには「師」が必要である。そこで特にお世話になった方を3名を選んでみた。榊米一郎先生
私はもともと初代学長とは面識は無かった。面識のない私が採用されたのは、米国フォードで10年間研究者として生存競争をしのいできた経験が買われたからであった。「外国に留学した日本人はたくさんいる。しかし、普通せいぜい3年間位客として滞在するだけで、外国で給料をもらって外国人と競争してきた日本人は少ない。そうした人が本学に必要」であったのである。外国に長く暮らした日本人を一種の異邦人として扱う日本人が多い中で、榊先生のような考え方はユニークで学ぶべきものがあった。
榊先生は技科大を個性的な大学にするよう配慮され、人事の面だけでなく、国際交流の重視、大胆な実務訓練制度の導入、面接を主体とした入学者選抜などなど、当時としては斬新なアイデアを出され強力に実行された。当事は無我夢中でその実現のお手伝いをするのに忙しく、先生の発想の仕方がいかに素晴らしいかを本当に理解できていなかった気がする。それができたのは、退官数年前大学の改革が時代の要請となり、私も大学のあるべき姿に興味が起こってからであった。斎藤武先生
斎藤先生とは、国際交流委員会の委員長・副委員長の関係があった。先生からは国際交流について指導して頂いただけでなく、もっと大事なことを教わった。実は私は本学に就任するまで大学での経験は大阪大学での助手としての3年だけであり、大学の運営について疎かった。そんな私に「大学とは何か」を懇切に教授してくださったのである。教わった中には、教官と事務官の関係についての説明もあった。なぜこのように懇切に手ほどきしてくださったか今でも謎であるが、おかげで経験の乏しさをさほど苦にすることなく、その後の学内の仕事をこなすことができた。
その斎藤先生もお亡くなりになった。心よりご冥府をお祈りいたします。高石鉄男先生
15年にわたる海外生活のせいもあって、帰国して本学に来たとき日本の学界、官界、産業界との結び付きはゼロであった。技科大に就任してから「光プロセス」を研究テーマに選んだが、それが時代の要求と合い、私の仕事が評価されるに連れて、産官学との交流が始まった。しかし、もともと何も付き合いがなかったので、勝手がわからず途方にくれることが多かった。そういうときに相談に乗り、明快の指針を示してくださったのが高石先生である。例えば、あるとき霞ヶ関のある省庁から、「航空・電子等技術審議会」の専門委員に就任を依頼してきた。でもなぜ航空関係の審議会かと理解できず困った。そこで高石先生にお尋ねして、これは要するに名前だけの問題だから安心して引き受けてよいという助言を受けた。事実、その委員会に出席してみると、私が専門とする光技術について審議する場であり、飛行機とは何も関係なかった。このようにして、外部から依頼された数多くの仕事を自信もってこなし、社会貢献を十分に果たすことができた。